2026/06/03
日本の基礎体力回復なしに、円安は止まらない、止められない
2026/05/28
消費税食料品1%と税額控除見送り? 結局は役人の既定路線では!!
先の衆院選では、多くの政党が「消費税食料品ゼロ」と「給付(還付)つき税額控除」という公約を掲げた。いずれも、ポピュリズム色の強い税制改革案である。
大政翼賛会ともやゆされる超党派の「社会保障国民会議(国民会議)」は、これらの案をまな板に載せて検討を進めている。しかし、その背後で実質的に流れを操っているのは、財務省などの役人である。財務省は、これまで一貫して、消費税のゼロ税率や給付(還付)つき税額控除の導入に反対してきた。
国民会議は、この夏に中間報告をまとめ、公表する。最近は、マスコミが「消費税食料品0%から1%へ」「税額控除は当面見送り」といった方向性を報じ始めている。流れをつくるために、役人が裏で“推し活”をしたのかも知れない。
◆「消費税食料品ゼロ」の意味
「消費税食料品ゼロ」には、非課税とゼロ税率の二つがある。非課税にすると、現在の医療機関や大学のように、仕入税額控除ができなくなる。ゼロ税率(免税/0%課税)にすれば、仕入税額控除が可能になる。
現在、社会保険診療を行う医療機関は、消費税が非課税扱いだ。そのため、1億円の医療機器を買っても、10億円で病院を建て直しても、支払時に負担した消費税(1千万円、1億円)はほとんど仕入控除ができない。診療報酬の引き上げだけでは補えず、廃業に追い込まれるケースも出ている。
このため、食料品を非課税にする政策はとりえないという見方が多い。ではゼロ税率にするとどうか。仕入税額控除が可能になり、とてつもない多額の還付が発生するため、税収は大きく減る。消費税減税なのだから当然だが、財務省もその点は理解しているはずだ。
一方で、「0%より1%の方が、レジ改修費が少なくて済む」といった話が流れている。しかし、その真偽は怪しい。財務省が本当に恐れているのは、ゼロ税率を食料品に導入すると、その波が医療機関や大学など現在非課税の分野に広がることだろう。 財務省の本音は、ゼロ税率は輸出だけに限定し、国内取引には絶対に広げたくない、という点にある。消費税食料品1%にして、国内ゼロ税率の永久の封印を狙っているのではないか?
◆給付(還付)つき税額控除は日本にも、この時代にも合わない
給付(還付)つき税額控除は、税と社会保障を一体化する構想だ。しかし、財務省にとっては、厚労省の事務と一体化すること自体が「悪夢」だと考えても不思議ではない。確かに、働いても生活が苦しい人(ワーキングプア)への給付としては意味があった。だが、生成AIやフィジカルAI/ロボットの普及で、働きたくても仕事がない時代が来る可能性がある。そうなると、働く人だけを対象にした給付(還付)つき税額控除は、すぐに時代遅れになる。
それでも、国民民主党のように「給付(還付)つき税額控除」を万能薬のようにPRする姿勢には疑問が残る。しかも、この党は最近になって、結局は「限定的な直接給付しかない」と悟ったように見える。この変節ぶりも問われてよい。
この制度は、本来、全員が確定申告をする国で成り立つ仕組みだ。しかし日本では、ほとんどの給与所得者は年末調整で完結し、確定申告は不要である。では、年末調整を廃止して全員に確定申告を義務づけるのか。それでは、「税制は“簡素”であるべき」とする租税原則に反する。しかも、受給希望者は、わずかな給付(還付)を得るために、所得を正確に示すため煩雑な確定申告を強いられる。結果として、制度は働いても生活が苦しい人たちにとり重い負担となる。申告が不正確であれば、税務調査の対象にもなりかねない。働いても生活が苦しい人たちへの申告支援制度を整えないと過誤申告の温床になる。日本の税理士制度は無償独占である。このため、大量の臨時税理士(臨税)を動員せざるを得なくなるだろう。多くの国では税務専門職は有償独占か名称独占だ。大量の市民ボランティアが低所得者への申告支援を担っている。
こうして見ると、そもそも日本には給付(還付)つき税額控除はなじまない。確定申告不要の直接給付/最低所得保障(UBI/ベーシックインカム)の方が適している。ただし、UBIでも、給付事務を自治体に丸投げすれば膨大な事務量になる。それでも、働いても生活が苦しい人たちに還付申告を義務づけるよりは、はるかにましである。
政党や政治家は、給付(還付)つき税額控除では、“給付”を受けるには確定申告が不可欠だという基本をまず理解すべきだ。しかも、この制度は複雑で、働いても生活が苦しい人たちが誰でも容易に手続きできると考えるのは甘い。費用対効果(コスパ)を無視した「言うだけ番長」の主張は、もうやめるべきだ。“木を見て森を見ない”稚拙な議論は、当の働いても生活が苦しい人たちにとって有害でしかない。
こう書くと「財務省の手先か?」と疑われるかもしれない。しかし、そうではない。「税制と社会保障」は分けておいた方が、セーフティネットとして安心・安全だ。また、税制は「簡素」であることも重要だ。コンプライアンスコストや徴収・還付コストを考えると、給付(還付)つき税額控除はコスパが悪すぎる。
◆ポピュリズム税革論に騙されない!
結局、「税額控除当面見送り」「消費税食料品0%から1%へ」という流れは、財務省の筋書きどおりと言える。そして、ポピュリズム税革論に乗せられ、票の“食い逃げ”を赦してきた私たち有権者自身も反省が必要だ。「給付(還付)つき税額控除が世を救う!」、「手取りを増やす!」のような、政党・政治家の「口当たりのよいキャッチコピーに私は騙されない」覚悟が要る。
2026/04/01
「子ども・子育て支援金制度」を深掘りする
26年4月にスタートした 「子ども・子育て支援金制度」を深掘りする
「独身税」導入による“ステルス増税”か?
問われる「支援金」という言葉選びのカラクリ
進むステルス増税、「食料品消費税ゼロ」の闇
2026年4月から政府の「子ども・子育て支援金制度」がスタートした。これは岸田政権が掲げた「異次元の少子化対策」に基づく制度である。理念は“子育て世帯を社会全体で支える”というものだ。この方針の下で、子育て世帯に支援金を給付(支給)する仕組みがつくられた。支援金の活用メニューは幅広い。子育て世帯を多面的に支えるために、次の6つのプログラムが用意されている。
1.児童手当=拡充、2.育児時短就業給付=賃金の10%支給、3.育児期間中の国民保険料=子が1歳まで免除、4.妊婦のための支援給付=10万円相当、5.出生後休業支援給付=夫婦の育休支援で手取り10割相当、6.こども誰でも通園制度=乳児等通園支援事業で月10時間まで利用可能
給付(支給)を受ける側から見れば「支援金」だが、負担する側からすれば「支援納付金」にほかならない。制度設計を担った役人は財源確保にあたり、負担する側からの反発の大きい「税」方式を避けた。代わりに公的医療保険の保険料(医療保険料)に上乗せする形で新たな「納付金/負担金」を徴収する道を選んだ。
政府は、昨今の反増税・反社会保険料増徴のポピュリズム政治の流れを強く意識している。そのため、支援納付金は税でも社会保険料でもないと言い張る。しかし、「国民負担」とは本来、税と社会保険料の合計を指す。その枠組みの中で、支援納付金がどこに入るのかははっきりしない。制度が税なのか。社会保険方式に近いのか。それとも第三の負担なのか。その位置づけは、いまも不透明なままだ。
この制度には、とりわけソーシャルメディアでは厳しい批判が広がっている。「支援納付金」という衣をまとった“ステルス増税”だとの批判が相次いでいる。給付(受給)対象が子育て世帯に限られることから、「独身税(bachelor’s tax)」との反発も強い。
こうした中で、この政策を進めた「こども家庭庁」の存在意義が問われている。むしろ、新たな省庁の設置こそが「大きな政府」を招いているという指摘もある。その結果、理解しがたい負担や、隠れた増税(ステルス増税)につながる政策が生まれているとの批判も強い。省庁を増やすなら、やはり「ゼロベース原則」で考えないといけない。
こども家庭庁を解体し、その財源を支援金に回せばよいーーー。そうすれば、独身税のような裏口増税は不要になるはずだ。こうした主張は、国民の間で広がりつつある。正論ではないか。
新しい省庁がつくられると、たいてい自らの権限や縄張りを固めるために、独自の“サイフ”、つまり「特別会計(特会)」を欲しがる。今回も例外ではなく、「子ども・子育て支援特別会計」が新たに設けられた。こうした制度がいったん動き出すと、縮小どころか肥大化の道をたどるのが常だ。「小さな政府」への回帰など望むべくもない。むしろ「大きな政府」へ向けて膨張し続ける。“とまらない、とめられない”。
政官は、手を変え、品を変え、国民負担を増やそうとする姿勢を続けている。今回の子ども・子育て支援金(支援納付金)のように、「支援金」という言葉選びのカラクリ、「税」という名を外せば負担をいくらでも増やせると考えるのは誤りだ。
一方で、先の参院選で与党が掲げた「食料品消費税ゼロ」の公約は、遅遅として進まない。議論は、国会ではなく、役人が背後で仕切る「社会保障国民会議」のような国民には見えにくい場に委ねられた。明らかに火消しを狙った時間稼ぎに映る。巨大与党の誕生で存在感が薄くなった右寄りの弱小野党までもが、この役人主導の大政翼賛会に集まりだした。これでは、議会制民主主義や財政民主主義が崩壊する。正々堂々と国会で議論しないといけない。
政府寄りのオールドメディアも、民意を逆なでする記事を平然と載せる。日経(26.03.31)の「消費税ゼロ、反対66%」という見出しは、その典型だ。同じ日の紙面(大機小機)で、複雑怪奇で時代遅れの給付(還付)つき税額控除/勤労所得税額控除(RTC/EITC)を礼賛する。この制度ではわずかばかりの給付(還付)を受けるのに働いても生活が苦しい人たちに複雑な還付申告を強いる。誰にコンプライアンス(納税協力)負担が及ぶにかという視点が欠けている。「公平」というお題目のもとで制度を複雑にすれば、最も傷つくのは低所得者だ。零細事業者も、納税協力の負担で疲弊する。それでもなお、制度を持ち上げる論調が続く。そこに、現場の痛みへの想像力はない。
時代は大きく変わりつつある。 生成AIやフィジカルAI、ロボットが、人間の頭脳労働や肉体労働を代替する領域は確実に広がっている。その結果、「働いて所得を得る」という従来の価値観は揺らぎ始めた。この変化に合わせた、新しいセーフティネットの構築は急務である。複雑な制度では、変化のスピードに追いつけない。 求められるのは、次世代型の簡素で普遍的な仕組みだ。
その一つが、AI時代に対応したベーシックインカム、すなわち最低所得保障制度である。 誰もが最低限の生活基盤を確保できる制度が、これからの社会には不可欠になる。
政府は、当初から、子育て支援金(支援納付金)導入による「実質的など負担は生じない」と説いてきた。社会保障の歳出改革などにより負担が相殺されるからだという。しかし、どう見ても、カラクリである。子育て支援金(支援納付金)は「独身税」で、ステルス増税との批判はあたっている。
もう1つのカラクリがある。「食料品消費税ゼロ」である。消費者から見ると、「ゼロ」は、非課税でもゼロ税率(免税/0%で課税)でも、どちらも消費税がかからない点は同じに見える。しかし、事業者にとっては決定的に違う。ゼロ税率(免税/0%で課税)なら仕入れ時に払った消費税を控除できる。一方、非課税では仕入れ時に払った消費税控除ができない。その分が「損税」となり、事業者の負担として積み上がる。この負担を避けようとすれば価格へ上乗せせざるを得ず、最終的には消費者が負担することにつながる。とりわけ、インボイス制度で事務負担が重く、価格転嫁が難しい零細事業者にとっては深刻である。損税が積み重なれば、事業の継続そのものが危うくなる。これが「消費税ゼロ」の“カラクリ”である。
与党は、衆院で絶対多数を占めるのだから、首相が決断すれば、公約はすぐにも実行できるはずだ。消費税減税をヤル気がないのが透けて見えてくる?
だが、「食料品消費税ゼロ」の公約が、単なるポピュリズム的な政治イベント、キャッチコピーに終わることは許されない。それにもかかわらず、子育て支援金(支援納付金)ステルス増税は進み、消費税減税は闇のなかだ。
トランプ政権のイラン攻撃で、石油危機、円安でインフレ悪化は必至だ。にもかかわらず、子育て支援金(支援納付金)のようなステルス増税は進み、一方では消費税減税は闇のなかに置き去りにされている。こうした不透明で優柔不断なやり方が続けば、国民の政治不信はさらに深まるだけである。
2026/03/02
トランプ政権のイラン攻撃とアメリカで勉強中の頃のイラン人学友の思い出
アメリカのトランプ大統領がイランを相手に戦争をはじめた。核開発をめぐる協議をしている最中にいきなり攻撃をはじめる。トランプ氏に政治姿勢には驚く。世界経済は大混乱に陥ることは避けられない。
もっと驚くのは、トランプ氏の顔色をうかがう日本を含む各国の政治家の姿勢である。
アメリカのワシントンD.C.にいた頃を思い出した。50年近く前になる。当時、イランはパーレビ国王(シャー)の時代であった。イランは親米の国で、たくさんの国費留学生をアメリカの大学へ送っていた。大学の同じ教室で出会った2人のイラン人学友のことを思い出した。
1人は、ワシントンD.C.のイラン大使館に勤める外交官。ポトマック河畔のウオーターゲートビル近くの夜景がすばらしいハイライズマンションに住んでいた。ロイヤリストで、パーレビ国王支持の模範的な夫婦であった。教員と私の2人を、食事会に招いてくれた。イラン風の美味しい食事をごちそうになった。
もう一方の学友の家庭にも招かれた。彼は、リベラル派の学生で、猛烈にシャー国王体制に批判的だった。彼の妻がときおり、彼に発言に気を付けるように促していた。こちらの食事会では、アルコール三昧で、すごく欧風化していた。
大学の授業には、アメリカ人のほか、いろいろな国から来た学生がいた。にもかかわらず、どうして自分を招いたのか聞いた。どちらの学友も、答えは、「日本が大好きだから!」。
今回のトランプ氏のイラン攻撃で、ふと昔を思い出した次第だ。
その後、イスラム革命があり、2人は、アメリカに残ったのか、母国へ帰ったのはわからない。50年近く前のことだから、両人とも、もう生きていないかも知れない。過去をたどるのは難しい。
アメリカは、宗教政権崩壊後、パーレビ国王の息子を後釜にするプランもあるとも聞く。だが、時代錯誤、至難ではないか?
日本人は、当時から、国際社会では、平和を愛する国民であるという「ブランド」があったような気がする。政治家には、この平和ブランドを傷つけないような発信を願いたい。
2026/02/23
米連邦最高裁は「トランプ関税」にノー、わが国の民意は「政党乱立」にノー
先の衆院選では、民意が政党乱立に明確なストップをかけた。一方、アメリカでは2026年2月20日、連邦最高裁が「トランプ関税」にノーを突き付けた。国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づいて課した相殺関税を「違法」とした「 Learning Resources, Inc. v. Trump 事件」判決である。
関税男(tariff man)の暴走にブレーキをかけたこの判決は、世界から歓迎されている。
この判決は、司法が「混乱と力による世界貿易支配はアメリカの利益にならない」と断じたものと読める。伝統的な三権分立を重視し、関税をかけるのは議会の権限であり、大統領令で関税を課すのは、権限踰越(ultra vires)で「違法(illegal)」であると断じた。【ちなみに、判決は「違憲(unconstitutional)」とは言っていない。】
連邦憲法は、「租税法律主義」を規定している(1条8節1項)。つまり、議会が法律で租税や関税などを課すルールを定めている。大統領令で課せるとは書いていない。これは予測可能性や法的安定性を確保することが目的のためだ。トランプ流のポピュリズム的租税政策は、大統領令で日々上書きされ、先行きが不透明である。明らかに予測可能性や法的安定性を失している。
この判決で、連邦最高裁は、大統領令による議会の課税権限の無秩序な介入に歯止めをかけた。同時に、大統領への権限集中が連邦議会の機能不全を招いていることへの警鐘とも受け取れる。 今回の判決は、トランプ流政治手法への戒めのメッセージといえる。
連邦最高裁は、唯我独尊的な統治スタイルや「破壊的創造(disruption)」を繰り返すトランプ政治に対し、鎮静化の役割を果たそうとしているのかもしれない。
現在の連邦最高裁は、保守派6人・リベラル派3人で構成されている。今回のIEEPA関税事件違法判決は6対3で決せられた。つまりリベラル派3人と保守派3人によって形成された。
保守派判事の意見書には示唆がある。自分を選考したのはトランプ大統領であっても、特定の個人の意向に沿って判断すべきではないという姿勢だ。むしろ、国民が選んだ代表の判断こそ尊重されるべきだと強調している。強いリーダーへの権限集中に対する警鐘でもある。
意見書を書いた判事の中には、トランプ大統領が名指しで批判した超エリート大学の出身者もいる。彼らは、ポピュリズム的分断をあおるいまの政治手法に強い疑問を抱いているはずである。アメリカの議会制民主主義の行方を深く憂慮しているのではないか。国家の品格を保つためにも、座視できないと感じているはずだ。今の流れを変えたいという思いがあるはずだ。
とはいえ、保守派判事が多数を占める最高裁が、政権交代に過度な期待を寄せているようには見えない。むしろ、自ら司法として、荒っぽいトランプ政治で傷ついた民主主義を立て直す責任を感じているのではないか。最高裁判事は終身任用である。この立場を背景に、今後も正義につながる司法判断を積み重ねていくことが期待される。
翻って、わが国でもアメリカと似た政治の動きがある。 新党が生まれては消える状況は、まるで日持ちのしない流行歌のようである。
ニューメディア主導の票欲しさのポピュリズム政治や、ポピュリズム減税論議、非現実的な反移民プロパガンダなどに、多くの国民は疲弊している。
先の衆院選では、こうした議会制民主主義を疲弊させる動きを止めたいという大きな流れが生まれた。「毒には毒をもって制す」。右寄りの自民一強、いわば“ビッグ自民”を成立させ、右ならえの少数政党乱立に終止符を打ちたいという民意が働いたように思える。
参政、保守、国民民主のように“一国一城の主”を思わせるポピュリストは、勢いがあっても民意が変われば失速しやすい。戦国時代に活躍した武将で、庶民を本当に幸せにできたつわものがいたとは聞かない。
集散離合も政治の一部ではある。しかし、大政翼賛会的な状況は議会制民主主義を破壊する。ビッグ自民が必ずしも望ましいとはいえない。とはいえ、わが国の司法にアメリカ司法のような「世直し」役を期待するのは難しい。
「アメリカがカゼを引くと日本は肺炎になる」。その言葉は今も重い。対米追従には問題があるが、今の流れを変える必要がある。そのためには、11月3日の米連邦議会中間選挙で、民主党が勝利することに望みを託すしかない、という見方には一理ある。
2026/02/02
「食品消費税ゼロ」の意味 「ゼロ税率(0%課税/免税)」か、「非課税」か?
2026年2月8日の衆議院選挙を前に、主要政党は競うように「食料品消費税ゼロ」のスローガンを掲げました。争点を潰す意図も見られ、各党がポピュリズム色の強い減税方針へと流れました。
しかし、この「ゼロ」が、「ゼロ税率(0%課税・免税)」なのか、「非課税」を意味するのかで正体不明です。政党トップが出演したTVの討論会でも、「ゼロ税率(0%課税/免税)」と「非課税」の違いが十分に理解されていないことが明らかになりました。また、新聞報道では「非課税」と判断する動きもあります。しかし、この問題で記者が十分な知見を持っていないと思われるケースも少なくありません。与党や財務省は、「非課税」扱いで、税収減というよりは、実質大増税を企んでいるとの見方もあります。
この違いは、極めて大きいのにもかかわらず、各党の選挙公約からだけでは見えてきません。まさに「ゼロのからくり!」です。有権者自身によるファクトチェックも欠かせません。生活者や政治家も、専門的な知識がないままの感覚では、「ゼロ税率(0%で課税/免税)」より「非課税」の方が?お得“に感じるかも知れませんが・・・・。実際は真逆です。食料品の「非課税」扱いは、逆進対策としての機能は期待できません。むしろ、使われ方次第では、“増税の呼び水“なる可能性すらあります。
「非課税」となると、事業者は仕入れ時に支払った消費税を控除できず、「損税」【事業者が仕入にかかった消費税を負担してしまう問題】を抱え込むことになります。価格転嫁が難しい零細事業者ほど負担が重くなるため、弱い立場の事業者にしわ寄せが集中します。医療機関が社会保険診療サービス「非課税」扱いによって高額機器などの購入時に仕入税額控除を受けられず、経営を圧迫している現状が、その典型例です。
消費者から見ると、「非課税」も「ゼロ税率(0%課税・免税)」も?税がかからない“という点では同じに見えます。しかし、「非課税」によって食料品販売事業者に発生した損税が価格に転嫁されれば、結果的に消費者が負担することになります。「非課税」扱いは、見かけ上は?消費税がかからない”であっても、実質的には?増税の呼び水“になるという指摘は、この点に基づいています。
また、食料品が「非課税」となれば、大規模農家で、大型機械や備品、肥料、農薬など多額の購入しないといけない事業者は、医療機関と同様の問題が生じる可能性があります。インボイス制度で負担が増している零細事業者にとっては、さらに厳しい状況となります。
このように、食料品に対する消費税「非課税」は真の意味での逆進対策にはなりません。事業者にも消費者にも望ましい制度とは言えません。一方「軽減税率」を採用すると、税制が「複雑」になります。事業者の損税を生まない「ゼロ税率(0%課税・免税)」の選択こそが、事業者にも生活者(消費者)にもベストな選択であると考えられます。
2025/08/27
日経のミスト氏の記事「患者を救うのは消費税だ 〜病院再生、医療費に課税を」(25年8月25日朝刊)を深読みする
【「患者を救うのは消費税“ゼロ税率”だ」〜ろうに?】
日経記者ミスト氏(匿名)は、記事「患者を救うのは消費税だ〜病院再生、医療費に課税を」(25年8月25日朝刊)を掲載した。
ミスト氏は説く。医療機関の公的保険医療サービスが、消費税の非課税取引になっている。このため、医療機関は仕入税額控除ができない。「損税」が発生する。税の累積排除ができるように、「課税取引」にすべきだ、と。
授業料などが非課税となっている大学なども同じ「損税」問題に遭遇している。ミスト氏は、国際医療福祉大学などでレクをしたこともあり、とりわけ医療に関心が深いのかも知れない。
ミスト氏は説く。消費税導入時に、財政当局は、医師会や患者団体などからの政治的圧力をかわすために、「非課税」で妥協を図ったと。どうだろうか?実際は「非課税」導入は、「ゼロ税率つぶし」が狙いだった。導入前の政府税調などでの議論を読めば「真実」がわかる。
ミスト氏は、課税取引にし、軽減税率の適用も選択肢になると説く。ミスト氏の保険医療サービス課税取引案は、踏み込みが足りない。というよりは、生活者を苦しめる主張そのものだ。課税取引になったら、軽減税率でも患者は8%(現行)の負担が強いられることになる。
オーストラリアでは、保険医療サービスはゼロ税率での課税だ。つまり、消費者である患者は、0%で課税。だから実質無税である。一方、事業者である医療機関が提供する保険医療サービスは課税。だから、仕入にかかった税額を控除できる。古くなった病院の再建も容易だ。
ミスト氏は、保険医療サービスへのゼロ税率課税の仕組みがあることを意図的に知らせないようにしているではないか。知見不足とは思えない。専門家のなかでは半ば常識である「ゼロ税率」には一言もふれない。ふれないように記事をまとめる書きっぷりは、この御仁の生き方を表しているのだろう。見方によっては「悪意あるカラクリ」とも思えるのだが?
ミスト氏の提案が正夢になればどうなるのだろうか。消費財源の浸食を危惧する財政当局を忖度し、連中を大喜びさせることになる。一方、生活者を重税で苦しむ、そんな結果になる。タイトルを「患者を“苦しめる”のは消費税だ」あるいは「患者を救うのは消費税”ゼロ税率”だ」に替えた方がよい。
ミスト氏は、熱烈なマイナンバー歓迎派だ。金融プライバシーなど要らないの論調で財政当局に肩入れする。この御仁、話術には長けているのかも知れない。だが、生活者の視点を操ることが多く、あまり誠実な記者には見えない。監視が必要だ。
多くの日経新聞の読者はバイアスのない記事を求めている。
● 円安が止まらない、止められない
財務省・日銀は4月以降、11.7兆円を投じて円買い介入した。それでも円は再び160円に迫った。円安は止まらない。外国為替介入が生活者を守る効果には、大きな疑問が残る。
円安の根本原因は、日本の基礎体力の低下だ。政府債務はGDPの260%超。金利が1%上がれば、利払いは数兆円増える。日銀は国債の半分以上を抱え、出口が見えない。潜在成長率は0〜1%台で、利上げに耐えられない。
市場の見方は明確だ。「日本は利上げできない。だから円は弱い」。外国為替介入を繰り返しても円安は止まらない。原油も輸入品も高騰する。物価高が止まらない、止められない。にもかかわらず、消費税減税も遅々として進まない。生活者の懐具合はますます悪くなっている。
国力が落ちているのに、為替だけ支えても無理だ。介入は衰えを隠す厚化粧にすぎない。抜本策にはならない。
● 過去には「十兆円規模の含み益」?
外為特別会計(外為特会)は、介入で差益が出ることがある。損益は為替水準と外貨の評価額で決まる。2011年の14兆円介入では、円安が進んだ。75円から100円超へ動いた結果、約10兆円の評価益が生じたとされる。これは制度の副産物だ。 政府は「利益目的ではない」と説明する。だが、構造は民間なら完全に“投機”だ。
しかも政府には、その結果を公表する義務がない。4月から5月末の11.7兆円の投機的介入の結果も不明だ。物価高に苦しむ生活者がおこぼれを得たという実感もない。
外為特会は依然としてブラックボックスだ。明らかに財政民主主義の欠陥である。
● 役所御用達を求めるのではなく、民間活力の最大化
高市政権は昨年11月、17分野の成長戦略を決めた。規制緩和や大学改革も含まれる。今後は「骨太」に反映され、実行される見通しだ。
しかし、その手法は役人社会主義的だ。中国の「中国製造2025」に近い。国家社会主義的な発想である。要するに、役人主導の“日本株式会社”の焼き直しだ。これでは民間活力の向上は期待しにくい。そもそも、日本のような島国が大陸国家のモデルを真似ても成功しない。
高市政権には、「成長は民間が生む」という視点が弱い。1980年代の技術革新を主導したのは民間企業だった。だが、今回の戦略は役所が監視役、上から目線だ。企業も教育機関も役所御用達として生きることを強いられる。これでは革新は起きない。
必要なのは、民間活力を最大化する環境づくりだ。それに、人口減が深刻なのに、外国人排斥では労働力も消費も確保できない。日本の基礎体力を回復させなければ、円安は止まらない。止めることもできない。このままでは、日本は着実にしぼむのではないか。